離散家族について
1945年8月15日、日本がポツダム宣言を受諾して連合国に降伏したことによって第二次世界大戦は終結した。その結果、朝鮮半島は日本の統治下を脱し、北緯38度線を境界として南側はアメリカ合衆国軍が、北側はソビエト連邦軍が占領することになった。これが朝鮮半島の南北分断の始まりである。
当初は38度線の間は問題なく往来可能であったが、冷戦下、南北ともそれぞれアメリカ、ソ連の強い影響下で新しい国作りが始まり、南北は歩み寄るどころか対立を深めていった。そのような中、1946年5月23日、38度線を越えて朝鮮人が往来することが禁止された。これが離散家族問題の発端である。
結局、1948年には大韓民国(韓国)と朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)が成立し、それぞれ朝鮮半島の正統政権であることを主張する2つの国が出来てしまった。発足したばかりの韓国と北朝鮮は対立をさらに深め、1950年6月25日、北朝鮮の韓国侵攻をきっかけに朝鮮戦争が勃発する。3年余り続いた戦争は決着がつかず、1953年7月27日、休戦という形で終了した。朝鮮戦争の結果、南北の分断は決定的となり、1000万人とも言われる多くの家族が南北間で離れ離れになってしまった。
なお朝鮮戦争の休戦時に、国軍捕虜という離散家族問題が発生している。これは休戦協定発効後60日以内に、「収容中の捕虜の中で送還を希望する捕虜全員を送還する」と決められていたのにもかかわらず、北朝鮮側が韓国側に送還すべき捕虜の一部を返さなかったとされる問題である。
南北対立の継続と新たな離散家族の発生
朝鮮戦争後も韓国と北朝鮮との厳しい対立は続いた。その対立の中で、南北分断開始から朝鮮戦争にかけて発生した数と比べると少ないものの、新たな離散家族問題が発生し続けた。
まず本人の自由意志で韓国から北朝鮮へ、そして北朝鮮から韓国へ向かう人が現れた。例えば現在北朝鮮の天道教青友党の党首を務める柳美英などが挙げられる。柳美英は韓国の元外相である夫の崔徳新とともに韓国から北朝鮮に向かい、2000年に行われた第1回離散家族再会で北朝鮮側の代表として韓国に残してきた家族と再会した。
そしてより深刻な問題として北朝鮮による拉致によって連れ去られた韓国人の存在がある。代表的な事件としては大韓航空機YS-11ハイジャック事件がある。この事件の被害者のうち、11名の乗員・乗客は北朝鮮に抑留されたまま韓国に帰ってくることがなく、客室乗務員のうちの一名が2001年の第3回離散家族再会で母親と再会した。また、1987年に黄海で操業中に北朝鮮側に拉致された漁船トンジン号の乗組員も、第2回、第8回、第9回、第12回、第13回の離散家族再会で韓国側家族と再会をした。2006年6月の第14回離散家族再会では、1978年8月に拉致された韓国人で、日本人拉致被害者の元夫である人物が母と姉に再会したことが話題となった。
また最近の北朝鮮経済の深刻化は多くの脱北者を生み出しており、今後新たな離散家族問題として浮上してくるものと考えられている。
前述の国軍捕虜問題や北朝鮮による拉致被害者を離散家族問題として一括りにすることについては、韓国国内でも批判が集まっているが、対北朝鮮宥和政策である太陽政策を進めている現在の韓国政府は特に問題視はしておらず、離散家族再会でも他の離散家族と同じような形で家族との再会を果たしている。一方、北朝鮮側は国軍捕虜と拉致被害による離散家族問題の発生を現在も否定しており、あくまで本人の自由意志や事故で北朝鮮へ渡ったものと主張している。
『ウィキペディア(Wikipedia)』引用
離散家族問題には大変頭を悩ませているようです。
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